バツイチ奮闘記|人の気持ちを科学する

人の気持ちを科学する

うだるような暑さです。
梅雨が終わればあっという間に夏。
今年は猛暑との予想が出ていて梅雨に入る前から憂鬱だったのですが、
毎日のこの気温を感じていると、予想の正確さを思い知らされます…。

梅雨時からうちのスタッフの千葉が「相対性理論が」だの「バター猫のパラドックス」だのと騒いでいたので、恐らく何か本でも読んで感化されているのだろうと思っていたのですが、最近は数学に嵌まっているようです。

私も少し感化されて、今回は人の気持ちを科学しようかしらと。

科学の進歩はめざましく、数十年前には実現不可能とされていたことが可能となったりしています。
過去へ行くことは不可能とされているタイム・トラベルも、数百年も経てば、ひょっとしたら実現できるようになっているかもしれません。
(ただ、未来から来たとされる人が今現在いないことから、過去へタイムトラベルすることは将来的にも不可能だという説もあるようです。)

ともあれ、不可能な事と言えば、宇宙やタイムトラベル等よりもっと身近な存在があります。
それは人です。

脳の仕組みはまだほとんど分かっていないというのは有名な話ですが、同じように、人の気持ちも、簡単に解明できるものではありません。
どうしてこの時そういう感情になるのか?
感情に突き動かされるのは何故なのか?
怒って人を怒鳴りつける人も居れば静かに泣く人も居て、人によって感情と行動に規則性が無いことも多いです。

こうした人の感情や気持ちは、自分ですら掌握しきれない事があります。
自分ですらはかり得ない自分の感情があるのに、もっと理解度の足らない他人の感情まで支配したいと思えてしまうなんて、つくづく恋愛というものは業が深いと思います。

しかしそれは一方で、「理解できないからこそ尊い」ということも言えるのだと思います。
人の知的好奇心は限りなく、何もその感情は科学者だけの特権ではありません。
一般人の私達ですら、身近な人の一喜一憂に動かされ、「この人はどうしてこんなことを考えるのだろう?」「この人の事をもっと知りたい」と思うようになるのです。
知らない事を知りたいと思うから、人の事を好きになるのかもしれません。
もっとその人の事を知りたいと恋愛初期は気持ちが燃え上がり、相手の事を知ったと過信すると倦怠期が生じます。
そして思い込みから人の気持ちにすれ違いが生まれ、別れてしまうということもあります。
他人の気持ちを理解したと過信する気持ちが、後々大きな矛盾となってしまうのです。
現段階で、人の気持ちを完全に理解することは不可能です。
それを十分に理解した上で、分かろうと努力する行為がとても大切なのだと思います。

しかし、科学の進歩はめざましい。
脳は電気信号を出して各種器官に働きかけています。
いずれそうした脳の解明も進み、人体の理解度も進んでいくでしょう。
そうなった時に、感情がどこから生まれ、どのような刺激によって変化するのかということも解明されてしまうかもしれません。
何をしてどのようになるとこうした感情が引き起こされる。
理由が分かれば、それは「感情」という言葉ではなく「事象の結果」という意味にしかならないかもしれません。
そうなれば、人の感情はいずれ無くなったも同然となるのでしょうか。
分からないことが無くなった時も、人は人への興味を持ち続けていられるでしょうか?

科学を考えているうちに哲学的な話になってきてしまいそうですが、つまるところ、人の感情は分からないからこそ愛おしい。
そして、その人の感情を知ろうとすること、そして少しでも感情を変えられるよう努力することは、今の私たちに出来る最大限の事だと思います。

自分一人では抱えきれなくなる前に、私たちに相談してください。
バツイチ探偵、若林でした。